妊娠から、出産まで

2008年9月 5日 (金)

妊娠から、出産(岡大、国立)

救急車の中で、担当の先生と、おしゅうとめさんが、のっていた。何するん?とずっと、ゆっていた。
赤ちゃん産むの?何ゆってんの?頭が、まわらなかった。おなか大きくなってない。わかが、わからないまま、
国立についた。そして、採血。ああ、また入院なんだとおもった。私を何人かの先生が、とりかこむ。
あ、あのとききてくれた、国立の先生だ、担当の先生の顔をみながら、マスクをされて、記憶が、ない。
全身麻酔だった。目が、さめたとき、見慣れた先生の顔で、何人かの先生が、おめでとうございます
とゆわれた。まだ、私は、理解していなかった。おなかを、みたら、ガーゼが、ついていた。何が、おこったの?
ようやくああー赤ちゃん産んだの?だんだんわかってきた。ああー産めたんだ。そして、私は、何日かして、
国立に外出して、陽菜に会った。泣きくずれた。私が、点滴できなかったから、陽菜がしてる。ごめんね。こんな
ママで。担当の先生も一緒にいってくれた。そして、私は、退院した。本当に担当の先生には、お世話になった。
小さく産んでごめんね。旦那は、陽菜が、大きくなって死にたいといえば、一緒にいくってゆってる。そんなことは
させない。愛情をいっぱいあげて、三人で、暮らすんだ。私の償いは、これだとおもう。みんなはるの事きらいになったかな?子供のために頑張れなかった母親だから。おしゅうとめさんは、よう頑張ったとゆってくれる。私の
支えになっている。ほんとにお母さんが、いなかったら、どうなっていたかわからない。本当に陽菜に会わせてくれて、ありがとう。岡大の先生と、国立の先生、ほんとにありがとう。

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妊娠から、出産(岡大)

そして、家の近くの川についた。川に入っていき、どんどん深くなる。何度も何度もためしてみた。でも、死ねなかった。赤ちゃんと、一緒にいこうとおもったのだ。周りのことは、まったくみえなくなっていた。こんなときでも、
旦那に電話していた。死ねないよ~と何度もゆった。病院つれもどさないでって、何度もゆった。おしゅうとめさんも、お父さんも、旦那もかけつけてくれた。そして、病院につれもどされた。こんなときでも、担当の先生は、怒らなかった。それほど、やさしい先生だった。今では、あのときいかなくてよかったとおもう。旦那は、
岡大の部屋では、なにひとついい思い出は, ない。一生このまま。点滴できない。産めない。離婚して。こんなことばかりゆっていた。おしゅうとめさんも、泣いていた。どんなことでも泣かないのに。
付き添いが、ないと、岡大にいれないとゆわれたそうだ。ここから、朝も夜も誰かがつきそってくれた。
私は、もう、なにがなんだかわからなくなっていた。どうしてここにいるの。もう気が、くるっていった。
担当の先生は、同じことを、何度聞いても、答えてくれていた。国立で、産んでいただいて、岡大に帰ってくる。
この言葉が、理解できなった。そして、あるとき、救急車が、きた。また国立で、入院かとおもった。

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妊娠から、出産(岡大)

そして、岡大の精神科の先生にみてもらうことになった。正直におろしたいと話した。でも、法律で、できないとゆわれた。この苦しみから、解放されたい、私にしか、赤ちゃん産めないこともわかっていた。
そして、岡大の産科の先生と出会う。赤ちゃんが、小さめだとゆうことが、わかった。血流が、悪いこともわかった。この日は、家に帰った。後日また診察。入院が、必要とゆわれた。もう入院に疲れていた。いやだとごねた。
先生や、身内、みんなに、迷惑かけた。でも、入院することになった。また小さい点滴をしてくれた。
そうこうしているうちに、おなかが、張っているのが、わかった。本当は、持続点滴しなくては、いけなかった。
もう、点滴したくないと、ごねた。こんなはるでも、先生は、見捨てなかった。ほんとに感謝している。
結局点滴が、できないと、いいつずけ、旦那は、どんどんつめたくなっていった。個室だったので、身内が、
とまったりしてくれていた。首をしめられたこともある。そうこうしているうちに、国立の先生が、きてくれた。(産科のトップの先生)すごく忙しい先生だとおもう。
担当の先生が、相談してくれていたのだ。やっぱり、点滴。それでも私は、点滴が、できなかった。
旦那が、赤ちゃんのことが、考えられない母親は、死んでくれとまで、ゆうようになった。わかった。死ねばいいんでしょとおもうようになった。そして、私は、岡大をタクシーで、逃げ出した。病院では、おおさわぎだ。

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妊娠から、出産まで

Haru080904_06
つわりが、ひどくて、脱水症状にもなった。どんどん体重もへっていった。クリスマスも元旦もつわりで、死んでいた。車も気持ちわるくなり、メールも、気持ちわるくなり、いつか、つわりは、おわると、おもっていた。けど、産まれるまで、おわらなかった。毎日、点滴が、苦痛になってきた。だけど、元旦に退院できた。はかなくなったから。
けど、家に、帰ると、吐き気が、動くのも、いやになった。吐かないように、耐えるのが、必死だった。
家の事は、旦那が、してくれた。通院しながら、点滴をした。その頃、近場に病院を、かえることにした。
喉が、痛くて、血を、吐いていた。ここでも、点滴が、必要だとゆわれた。仕方なくうける。喉が、痛い、と
いえば、そのうち、なおるとゆわれ、正直丹羽に戻りたいと、おもった。先生との、相性もあると、おもう。
そうこうしているうちに、友達から、電話が、かかり、岡南産婦人科、婦長さんに、相談してくれていたのだ。
休みの日だったけど、先生が、見てくれたのだ。岡山は、産婦人科は、恵まれてるとおもった。
ここでも、点滴が、必要とゆわれ、もう、点滴に疲れ果てていた。小さい点滴にしてくれた。すごく気が、楽になった。また入院になった。小さい点滴にしてくれた。少しずつ、食べれるようになった。ここでは、
喉がいたい。背中が、いたい。声が、でない。息が、できない。きもちわるい。吐く。血が、でる。正直最悪だった。
眠れない。赤ちゃん、おろしたいとおもうように、なった。みんな楽しみにしてるから、いえなかった。一人で、悩んでいた。ある日、婦長さんに、泣きながら、相談した。旦那にゆわないといけないとゆわれ、旦那に相談した。
もう自分のことしか、見えなくなっていた。お願い、赤ちゃん産んで、一生のお願い、一粒の涙が、流れていた。
今でも、忘れられない。結婚して、泣いた日は、一度だけ。それほど、陽菜にあいたかったとおもう。
もう、もたない、おろして、何度もゆった。気が、くるいそうになった。そうこうしているうちに、おろす時期が、
すぎていった。一度、外泊してみることにした。退院したいとゆったら、いいよとゆってくれた。私は、死にたいと
おもうようになった。それほど、妊娠は、つらかった。死にたいとおもう患者は、受け入れできないとゆわれた。
そして、婦長さんが、岡大の精神科の先生に見てもらいましょうとゆうことになった。その間、家にいた。旦那との
仲は、ぎくしゃくしていた。そして、岡大の通院が、はじまった。

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妊娠から、出産までまとめた

最近の陽菜です^^
去年の12月妊娠が、判明した^^嬉しくて嬉しくて、手の振るえが、とまらなかったのを、覚えている^^(陽菜)
不妊治療を、していたが、なかなか、授からなかった。一度、妊娠したけど、流産した。赤ちゃんが、見えなかった
AIHも、3回したけど、だめだった。そして、去年の9月ごろ、旦那が、手術してくれた^^(精子が、少なかった為)
6割にかけてみたのだ^^ そして、なんと、12月自然妊娠できたのだ^^私は、自然にお腹が、大きくなって、
普通に産めると、おもっていた。旦那が、手術頑張ってくれたから、赤ちゃんが、できた^^二人で、喜んでいた^^
そうこうしているうちに、出血。頭から、流産したときの事が、よみがえる。まただめなのか、、。そして、私は、
丹羽病院で、見てもらっていたので、念のため入院となった。毎日、点滴の日になった。食べては、はきどうしだった。この頃は、点滴は、頑張れた。吐き気止めの点滴だけど、ずっと吐いてた。もう死にそうだとおもった。
同じ病室の人は、つわりが、なかったそうだ。元旦が、予定日で、無事に産まれていた^^私も産める、つわりも、
おわる、そうおもっていた。

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